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-古都が銀世界-
とうとう京都に雪が降りましたね。
朝、家の中が何かいつもより明るい感じがして、しかも今日は土曜日で普段より静かなんだけど、今日はそれ以上に静かな気がして!もしかして雪が降っているのではないかと思い、窓を開けたら、なんと降っているではないか。
最初は嬉しいやら楽しいやらで、ウキウキとはしゃいでた(年甲斐もなく!)のですが、今日は打ち合わせの予定が入っていることに気づき、「どうしよう?」と現実に戻ってしまった。
僕は、北陸の生まれなので小さい頃から雪には親しんできたのですが、久しく雪を見ていなかったせいか感無量。雪は世の中の汚いモノをすべて覆い隠してくれます。その長くは続かない、幻想的なその「時」が僕は好きだ。木々が雪を被り、動物や人かと思うようなおもしろい形に変形していたり、和風の家々がこの時だけ北欧の家並みと風情を想像させてくれたり。
雪が降る音を「しんしん」と言ったりしますが、雑音が全く聞こえず耳を澄ませればまさにその音が聞こえてくるのです。(僕だけかな?)
いつもいろいろな方の家を設計していますが、庭に雪が降る光景を手に取るように見ることの出来る大開口のある家はいいですよね。姿勢を正し、じっと見ていると神聖な気持ちになってしまいます。(また、あのような家を設計したいなぁ!)
人は同じ空間を体験しても、それぞれ感じ方は違います。そのズレを解消することは出来ません。そのズレを活かす建築。家族がそれぞれ自分に合う快適な居場所を見つけることができる住空間。家族が個々に違う刺激を受け、そこに生きた語らいが生まれる。時代が進み、人の生き様も様々。これからは住空間が与える影響は想像以上に大きいような気がします。(あっ、ついつい仕事の話になってしまった。)
結局、今日の打ち合わせは雪のため中止になってしまいました。(あ~、仕事が遅れる~!)
-家づくりの真髄-
家づくりは一生のうち、そう何度もあるものではありません。当然、思いは強くなるものです。なかでも、家相や方位は当たり前のことでしょうが、このところ、風水を重要視されるお客様や、お抱えの易者(?)の方にみてもらうお客様が増えてきています。
 これまで手がけてきたプロジェクトの中で、基本計画に約1年の時間がかかったという物件もあります。「1年かけて何やってんねん。」と言いたい方もおられるでしょうが、私たちの仕事ではざらにあることです。あまり進まない訳はというと、先に述べた様々な要件やそれら以外の事柄が影響する場合があるからなのですが。
 これらは、やはり「住まい」に対して「安心」や「安全」「やすらぎ」を求めるが故の、こだわりではないでしょうか。私も建築家として、家相等それらのことは勉強しておりますが、これだという答えはないものです。お互いの考えが一致したときが「答え」だと考えます。
 人生とは「生まれてから、死ぬまでの時間です。」人生とは「自作自演の自己表現の舞台です。」つまり、私たちは「人生の表現者」。「住まい」はあなたの人生を演出する最高の「やすらぎの場」であり「舞台」なのです。
 それ故、こだわることに、時間は惜しみません。やはり、「あなたの住まい」ですから・・・・・。(上島 ひとし)
-「身の丈」のコミュニケーション-
昨今、メディアやマスコミで、また本屋さんに行くと、やたら「情報化」の文字が目に飛び込んでくる。人は多分、「情報化=IT化」と考えがち。技術論、コンテンツ論、ネット活用論、スキルアップ論等に終始するきらいがある。ある意味、仕方がないことかもしれない。
IT業界がけしかけ、この社会をそう仕向けたのであろうか。我々は、個々にあるいは地域、企業として、その潮流にドッカリと乗ってはいけないのでは。それを単に「情報の活用」として捉えたい気がする。
ITだけにとらわれない、地域や企業人としての情報の発信と受信、地域として、企業としての情報の活用。さらには、それを踏まえ、地域の情報活用、交流、コミュニティーの構築までも考えていかなければならないのかもしれない。私の建築設計の業界でも、IT化の波に揉まれているのが実情だ。かといって、お客様(クライアント)に対して、そのままデジタル的に応対すれば良いかというと、決してそうではない。やはり、顔の見える仕事、声の聞こえる仕事としてコミュニケーションを絶やすことなく、アナログで気負いのない納得のいく応対、仕事をしていくべきだ。(私はそうしているが)つまり、地域であっても、企業であっても、自分たちが共に考え、自分たちのための、自分たちに合った、決して、背伸びしない「身の丈」のコミュニケーションを考えても良いのでは。(上島 ひとし)
京都の冬景色
いや~!ブログって、なかなか毎日続けられないものですね。3日空いてしまいました。
でも諦めないで、頑張ります。
先日は東京にも雪が降り、交通機関の乱れや怪我人もでていましたね。僕は雪国の生まれ。雪を見ることが好きなので、あの時京都にもっとたくさん降ってくれと密かに思ってました。
そこでふと、日本における冬景色を考えてみました。雪が毎年降る地域は、雪に埋もれ、遠くに山があれば当然雪。まさに白一色の世界でしょう。雪を被った家々は、ある意味かわいいもの。木々も雪に埋もれ、白の中に緑のオアシスを演出してくれます。その景色は、いかにもまだまだ春が遠いイメージを我々に植え付けるものです。
 さて、京都の冬景色はどうでしょう。日本海側は雪ばかりでしょうが、あまり雪の降らない市内は我々がイメージする冬景色を演出してくれているのでしょうか。雪が降らなければ、冬景色と言えないのかというとそうではないように思えます。冬の京都御所は枯れ葉が舞い、静寂そのもの。歩けば砂利を踏む音が、いつもより大きく聞こえます。この雰囲気を味わうことは、滅多にないもの。雪が降れば、金閣寺や銀閣寺はこの世のものとは思えない世界をつくってくれる。雪は汚いものすべてを覆い尽くし、一時人間の心を洗い、身を正してくれますが、京都は雪が降っても降らなくても、その時々で、またその所々で、ならではの冬の景色を我々の心の中にまで映し出してくれているのではないでしょうか。そんな京都の冬、見つけに行きませんか!(上島 ひとし)
-非日常-
2月1日 今日からいよいよブログを始めることにしました。
京都に住む勝手な建築家が勝手に語る、勝手な日記です。
皆さん、末永くお付き合いしていって下さい。

 私は、一級建築士事務所を主宰しているが、建築設計という仕事はどちらかと言うと、事務所に篭もって仕事をする時間が長い。施工が始まると現場の監理があるので、しょっちゅう行くのだが、設計(図面作成)をしているときは、どうしても篭もってしまう。それに、クライアント(建築主)との打ち合わせは、どちらかというと都合で週末が多い。
そうなると、精神的に休まるときが少なくなってしまう。僕も生身の人間。たまには鬱憤ばらししたくなるというものだ。以前毎年のようにやっていたことだが、冬に悪友たちと集って日本海の朝市に出かけ、生のカニとカキを食べきれないくらい買ってきて、仲間の庭でカニはズンドウで茹で、カキは次から次へと網で焼いて、悪友ファミリーと一緒に飲めや食えやの大宴会をしたりしていた。ときにはその勢いで、近所の人たちも巻き込んで、まるで昔から知り合いだったかのように、仲良く楽しいひとときを過ごしたこともあった。
たまには、こんなことでもしないと、気が滅入ってしまう。これは普段味わえない、「非日常」ではないだろうか。「非日常」で思い出したのだが、「現代生活はソファーとベッドの生活が主流だ。」なんて言う人もいるだろうが、日本のほとんどの家には「和室」がしつらえてある。使われ方はというと?お客さんが来たときだけ使うとか、箪笥の置き場で着替えるときに使うとか、あるいはリビングの延長で、ついつい昼寝をしてしまう。まあ、様々だろう。そもそも、和室の起源は、座って使うことを基本にし、座って周りが一番良く見えるようにと考えられている。縁側の雪見障子がそれを物語っている。それが「非日常」と、どんな関係があるのかって?それは、和室によく仏壇を置くように、そこは神聖な場所。部屋の真ん中に自分の身を置き、座ってしか見ることのできない風景を眺めたり、空気を感じたりと、普段の「自分」を見つめ直す、いわば「日常」から自分を解き放ち「非日常」に自分を置く「回想」の場所である。
今の時代「原点回帰」で、たまには「自分」を見つめ直すことがあってもいいのでは・・・・・。
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